・2022年8月27日(土)

弟と電話で話す。

昨晩、母が誤嚥した。プリンのようなものだったという。

もう自分で吐き出す力はないので、吸引措置となった。

これが本人にとっては体力も奪われ、とても辛かったと想像する。



そして、今後のリスクを考えるともう食事は与えるのは難しいと判断して、ターミナル室(お看取り部屋)に移りました、、、ということだった。


え? なんかよくわからないんだけど・・・

確かに、食べられなくなったらそのまま受け入れますとサインした。

けれど、それは母が食べない選択をするかということで、もう与えられないっていうのもあるのか・・?



それは想定外の早さだった。


ターミナルに移ったら、基本的に治療という処置はされない。

嚥下障害が出たら、お薬も飲むことはできない。

呼吸が苦しくなったら呼吸器は使うようにと過日のドクターが指示してくれたけれど、それ以外もう何もできることはない。


もし水分も何も取れなくなったら(お看取り部屋に行ったら)、だいたいそこから一週間がタイムリミットだと聞かされていた。



午後の予定をすべてキャンセルして、夕方、母の元に駆けつける。



吸引されたためか、もう声が出せる状況ではなくて、横たわる母は先日病院で面会した母とは別人だった。


何か言いたそうだったけど、もう声にはならず。

目は片眼だったけど、しっかり開いて、私たちのことは認識していた。

優しい目だった。



そのままずっと付き添うつもりだったけれど、様子をきくとまだすぐにどうこうなる事態ではないということで、とりあえず明日出直すことにした。


弟が、スタッフの人から、ここから出る時に着せてあげたいお洋服があったら準備してきてくださいと言われたらしいので、帰り際に受付で「着物でもいいんですか?」と確認する。



母の晩年は、呉服屋さんの上得意になるくらい、着物に時間とお金を費やしてきた。

だからもちろん着物を着せてあげたい。

けれど、じゃぁどれを?となると選ぶのが難しい・・くらいたくさんある。


日が暮れて、義妹と一緒に実家のタンスをあけにいく。

本当に、選ぶのも探すのもたいへん・・・っていうか、ちょっとお母さん!どんだけ買ってたのよ!?っていう着物や帯の枚数に、もう笑いしかでてこない。

わかってはいたけれど、二人で家捜ししながら、呉服三昧の母の人生を振り返って笑い転げる。



まだ母が一人で元気に暮らしていた頃、「私が死んだらこれを遺影にしてよ」と言われた写真がある。

着物姿でスラッと立って、カメラではないどこかに目線をやっているキメ写真。
(ホントにこれを・・・?あなた女優さんなの?的なやつ/笑)


それに写ってる着物にしようかと思ったんだけど、思い直してそれは私が形見としてもらうことにした。

だって、結構良さげな大島紬だったから・・(苦笑)


結局、母らしい藤色の着物を持たせてあげることにした。



「どこまで用意すればいいんですかね?」と、着付けの免許も持っている義妹。

帯も?襦袢も?小物も?・・足袋とか草履もいるの??

よくわからなかったので、一式コーディネートして袋に詰めて持参してみることにする。


お母さん、このコーデで気に入ってくれるかな・・・






・2022年8月28日(日)

皮肉なことだけれど、ターミナル室に移ったら、家族はいつでも(24時間)面会できる。

家族が宿泊できるような設備はないけれど、朝から晩までそばに付き添ってもいい。


コロナ禍じゃなかったら、施設のお部屋でおしゃべりできる母と過ごせたのかと思うと、一瞬切ない気持ちが込み上げる。



ずっと会いたがっていた母の姉(私にとっての伯母)に連絡して、一緒に来室。

でもこの日は母の覚醒はなくて、伯母が面会に来ている間は、ずっと半昏睡状態。

名前を呼んでも話しかけても、目を開くことはなかった。

でもきっと「お姉ちゃん」が来てくれたことはわかったと思う。



母よりふたつ年上の伯母も要介護2で、やっと自分で歩いて動ける状態。

「そんなに悪くなってたの・・?」と行く道の車の中ではショックを受けていたけれど、穏やかそうな寝顔を見て、「でも苦しそうじゃなくてよかった」と帰っていった。



伯母と従兄弟と一緒に、私も母の病室を後にする。

これからの一週間、何が起こるんだろう・・。

私はどんな感情に襲われるんだろう・・。

母の最期は確実に近づいている。



メソメソする感情と、まだ冷静に段取りを考えている自分を確認する。

「そうだ、ネイル、直しに行かないといけない・・」


元々入れていたネイルサロンの予約。

キャンセルするのをやめて、一旦静岡に戻る。




シンプルなベージュに直してもらった指で、この晩、私は喪服の準備をした。


父の葬儀のときに、黒のパンツスーツだった私に、

「私のときにはちゃんと着物を着なさいよ」

というのが母の教え、というか遺言?



呉服三昧だった母は、私が嫁ぐときに喪服の準備もしてくれていた。

私の嫁ぎ先の紋を入れたものだ。

たしかおばあちゃん(母の母)の着物を直したものだとか言ってたっけ。


黒い帯も帯揚げも帯締めもある。

草履もバックも一揃え持たせてくれた。

これまで使う機会がなかったら、小物類には値札も付いている。

包みを解いて札を切って、喉のあたりが苦しくなる。




・2022年8月30日(火)

昨日は月末の仕事を諸々片付けて、昨晩から再び茅ヶ崎。

今日は、朝から夕方まで母のそばにいようと思って赴く。



介護スタッフの方から、音楽をかけたりアロマを焚いたりしてもいいんですよ、と聞く。

その他、なんでも聞きたいことがあったら遠慮なく聞いてくださいと言われ、夜間の見回りのこととか、もしもときの立ち合いとか、エンジェルケアの内容とか、とりとめなく色々聞かせてもらう。


最期のとき、エンジェルケアとして着物を着せてくれるのは、看護師さんと介護士さん。

できればそこに立ち会いたいというわがままも伝えてみる。



母の傍にいくと、ちょうど目を開けていた。

「わかる?来たよー」と声をかける。

声にはならないけれど、こちらを見て「なっちゃん」と言ったような喉の動きがした(気がした)。



義妹とCDデッキを持ってくる話をし、何の曲がいいんだろう・・・と色々検索。


母とはクラシックのコンサートに出かけたり、バレエの公演を見に行った記憶がある。

クラシックも、モーツアルトとかビバルディとか明るい系のものじゃなく、ベートーベンとかチャイコフスキーとかのちょっと暗めな?憂いたものを好んでいた。


パッと浮かんだのは、チャイコフスキーの「悲壮」。

たしかこれが好きで、よく家のステレオでかけていた。


iPhoneで検索して聞いてみた。

・・・けど、これは迫力がありすぎて、病室がドラマチックになりすぎるか ^^;;

悩む。



仕事を片づけた弟が午後になって合流。

「ポール・モリアがいいんじゃない?」といってかける。

マジックショーがはじまって、母の目がパッと開いたらいいのに・・・と思う。




・2022年8月31日(水)

朝から母の部屋。今日は一人。


昨晩寝ながら考えて、もしかして・・・と思ってひらめいた「美空ひばりベスト」を枕元でかけてみる。


びっくりした!


呼びかけてもなかなか目を開けない状態だったのに、うっすらと目が開いたかと思ったら、アルバム一枚分、ずっと目を動かして聞いている感じだった。


チャイコフスキーでもポールモリアでもなく、美空ひばりだったみたいよ、と弟夫婦とのグループLINEに送る。


着物を着て、カラオケスナックでマイクを握っていた母の姿が浮かぶ。

一緒に歌い出したくなったのかもしれないね。

ひばりさん、すごいです…。




目は開いたものの、もう目が合う感じはしない。

まだ肩で息をするほどではないけれど、徐々に弱っていってることはよくわかる。



ふとした瞬間に感情のスイッチが入って、急に涙が込み上げる。

ずっとふわふわしてる感じ。

パソコンのログインのパスワードを間違えて「おいおい、私、大丈夫か?」と自分にツッコミを入れる。


自分の体調と心のケアもしておかないといけない!と無理に言い聞かせて

「やっぱり美容院も行っておこう」


「お母さん、また明日来るね」

と伝えて、美容院に予約を入れ夕方静岡に戻る。



夜はスポーツジムのレッスンがあったので、それも行くことにした。

いつものZumba仲間には、先週「実家に戻るから」と伝えて急にレッスンをキャンセルをしていたので、私が来たのを見つけた人生の先輩方が声をかけてくれる。

「どうした?大丈夫?」と。


「いままだ途中なんですけど、気分転換にきました」

明るく簡単に状況を話しつつ、でも、いつもの調子で楽しく過ごす。

あれ?私、泣かないで話せてるなーとちょっとホッとする。



・2022年9月1日(木)

静岡から10時過ぎに到着。

昨日よりも呼吸が弱くなってきて、目を開けてくれる気配はない。

さっき介護士さんと看護師さんがやってきて、母の様子を見てくれた。


血圧がかなり下がっている。

酸素濃度も測れない状態だいう。

足にはチアノーゼが出てきたらしい。

呼吸器の酸素濃度がMAXまであげられた。


もう残された時間はあまりなさそう・・?

そう思って、弟に連絡する。


母と二人でいる間に、たくさんのありがとうとごめんなさいを伝える。

(本当は母との想い出を綴りたいところだけれど、そんなことをすると私が決壊してしまいそうなので、またの機会に)


弟夫婦到着。

再度、美空ひばりアルバムに頼る。


すると、なんと・・・

またしても目を開けて、しかも両目を開けて、昨日より一昨日よりしっかり開けて、音楽を聞いているようだった。


みんなでびっくり。



夕方、看護師さんたちが見にくる。

チアノーゼが消えていて、酸素濃度も良い状態に戻ったとのこと。

美空ひばり効果か・・・。

ひばり様ありがとう!



スタッフの人たちがなるべく苦しそうじゃない体制を整えてくれる。

ときどき目を開く母の手を握る。



きっと、こういう看護や付き添いのとき、みんなが迷うんだろう。

このまま夜通しここにいた方がいいのか、一旦帰っても大丈夫なのか。



弟が夜中までいるよ、何かあったらすぐ連絡するよ、と言ってくれたので、私は帰ることに。

今日は施設から一番近いホテルを取っている。


→母のこと③

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