母の容態の覚書と、自分がどのタイミングでどんなことを思って、どんな感情を味わうことになるのかを書き記しておきたくて綴り始めたものの、いまは何をどこまで書いたらいいのか、よくわからなくなっている。
書くことで気持ちを落ち着けようとしているのかもしれない。
今日は9月2日。
母がターミナルに移って、ちょうど1週間だ。
今朝、ホテルからここに向かうタクシーの中で涙が出てきてしまった。
運転手さんは知ってか知らずか、何も話しかけてこないタイプの方で助かった。
不安定な天気で、ちょっと前から強い雨が降ったり止んだり。
静かに呼吸をしている母の隣でこれを書いている。
一週間って長いようで短い。短いようで長い。
いくらかけがえのない時間だからといって、ずーっと手を握って話しかけ続けられるわけじゃない。
それでいて、本を読んだりYouTubeみたりしても気持ちが続かない。
だからこうやってブログを書いて気を紛らわしているのかもしれない。
ただ現実的に考えれば、このコロナ禍にあって、こんな風に最期の時間を一緒に過ごせていることは、すごく希少で感謝なことだ。
私は静岡と茅ヶ崎を行き来しながらだけど、朝から晩まで、いつ来ても、どれくらいいてもいい。
長い眠りの合間に、ほんの数分だけ訪れる目を覚ましたそのときに、側にいて、様子に気づいてあげたいと思う気持ちを叶えてもらえている。
ここ数日は、母のところに向かう道すがら、無事を祈りつつ喉の奥の方がキュッとなる。
気が急いて、足を早める。
到着すると、よかった、まだいてくれた、と思うものの、母の顔を見ながら二人でいると、悲しくて寂しくて切なくて、胸が苦しくなって勝手に涙が出る。
でもしばらくすると、私自身はお腹も空くし(そんなに食べられないけど)、体も疲れる(あんまり熟睡できてないから?)。
今日なのか?明日なのか?と考えて、いろんな段取りを想起してしまう現実的な自分もいる。
そうかと思うと辛くなって、思わず夫に電話して泣き言を言ってみたり。
ずっと母を看てくれていた介護スタッフの人が言っていた。
「いままで何人もの方をお見送りしましたけど、いくときはその方自身が決めていらっしゃるみたいです。
皆さんに囲まれて行きたい方は、ご家族が集まられるのを待っていらっしゃいますし、逆に悲しませないように、ご家族が帰られたタイミングでスッといかれる方もいらっしゃいます。」
母は、どっちだろう・・。
コロナ前は、さんざん「会いに来てよ。いつ来るの?」と電話をしてきてせっつかれていたから、きっと側にいて見送られたいかな。
あんなに忙しいっていって、数ヶ月に一度しか顔見せに行かなかった私が、こんなに毎日そばにいるって、お母さん、びっくりしてるよね。
なんでもっといろいろ話せるうちに・・・って。
ホントにそうです。ごめんなさい。
たまたまこの期間、講演とか研修とか、絶対に外せない大きな仕事は入っていなかった。
数件のコンサルとカウンセリング、リスケ対応してくださった方、ありがとうございます。
それに、「茅ヶ崎行ってくる」って急に出てきて数日戻らなくても(いつ戻るか全然アバウトでも)家のことも事務所のことも、何にも困らずに暮らしてくれる夫にも感謝。
まぁ、こういうとき「俺のご飯どうすればいいの?」とか言う夫だったら、結婚してないか…笑
ゆっくりゆっくり、母がいなくなることを受け入れる時間なんだな・・。
神様がくれた尊い時間。
握り返してはくれないけれど、まだ温かい手を握って過ごしています。
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