以前、中野信子先生の著書『努力不要論』というタイトルを拝見したとき、「ん?」と思ったのを覚えています。



努力って、不要なものなの?
もしかして、「あるがままを受け入れる=あきらめて何もしない方がいい」ということの脳科学的見解??


いやいや、そうではありません。
中身を読むとそうではないことが分かりました。
(もちろんそんなはずないよね…と期待していましたけどその通りで/笑)




簡潔に言ってしまうと、努力には「報われない(無駄な)努力」と「報われる(戦略に適った)努力」があるということでした。

やみくもに(間違った方向に)努力を続けていても、叶わないことはある。
(というか多い^^;)
そして、ただ報われないというだけでなく、関係ない人を恨んだり妬んだり、不要に自尊心を(自ら)傷つけたり、またはその努力をいいように使われて「搾取」されてしまったり、、、ということも起こっているので、気をつけましょう!という内容です。
(まとめすぎか…?^^;)



私たちは、周囲の期待に応えようという頑張りから生まれた「あるべき姿」や、他者との比較によって出来上がった「目指すべき理想」のために努力をして、自分をすり減らしたり、息苦しくさせていたりすることがあります。


なので、「あるがままのあなた(自分)でいいんだよ」というメッセージを受け取ると、すごく安心して気持ちが楽になったという経験をしたことがある人は少なくないはず。


人の存在価値は、何かが出来たからとか、何かを持っているからなどの理由で決まるものではありませんし、聖書には「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と書かれていますし^^



でも、だからといって、私はこういう人なんだから仕方ないでしょ…と何もせずに成長することを放棄していいということではないと思うわけです。

あるがままの自分を大切にして生きるということは、すべての努力を投げ出すということとは違うでしょう。



「あるがまま」はその人を決定づける固定された殻のようなものではなくて、その人にとって(先天的なものを受け継いでいる)核となる要素だと感じます。

変えられることと変えられないことをしっかりと把握しつつ、変化できるのびしろを探し、現実的な方法に着手する・・・というのが、中野先生の言う「自己分析」と「目標」と「戦略」を携えた【報われる努力】なのだと思いました。




次回のスマラボにお招きするコラボパートナー 国分典子さんが、ちょうどご自身の体験をなぞって、まさに「あるがままを受け入れつつ、報われる努力を実践した」ことを記事にされていました。

▶︎ したい>できる の”How思考”で、自分の可能性を広げよう


ちょっと古い記事ですが↓こちらを読むと彼女が↑これをどんな「努力」に変換しているのかが分かります。

▶︎ パニック障害の私が28年ぶりに飛行機に乗れた訳




3月25日のスマラボでは、そんな国分ちゃんから、多くの人たちを勇気付けるであろうリアル&面白エピソードをたくさん引き出したいと思っています。



「あるがまま」の中に存在している自分の「ネガティビティ」は、【報われる努力】を構築するための大切な素材なのです。

ぜひ多くの皆様のご参加をお待ちしております!

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