わざわざブログでお知らせするということもなかったんですが、先日クリスマスが過ぎて、なんとなく書いておこうかなという気持ちになったので書いておきます、私事ですが…。
先月のことになりますが、私の父が他界しました。
81歳でした。
ほとんどの方にはお伝えせずに、いつも通りに仕事をしていたので
先月のいつ???・・と思われた方もあるかもしれません。
担当する講座も研修も詰まっていた時期でしたが、
通夜、葬儀ともに、無事に参列することができました。
実は、私は実父と10歳までしか一緒に暮らしてはおらず、
一緒に旅行したり、飲みに行ったりするようになったのは、私が結婚してからのこと。
母が再婚して、私には養父が出来たので、
お互いに(みんなが)いろいろな気遣いや遠慮をしていたのでしょう。
(その養父ももう15年ほど前に他界しています)
多感な少女時代に経験した「二人の父」(笑)のことは今日のテーマではないのでまた別の機会にでも・・・。
父は食道癌でした。
昨年6月末に喉に違和感を覚えて受診、そこから検査入院。
癌が見つかり、8月には食道と共に声帯を除去し、小腸から食道を再建する大手術。
秋に退院したものの、その後リンパや肺への転移がみつかり化学療法を行いました。
約1年半の間、入退院を繰り返す日々でした。
・・・と、こんな風に書くと、どれくらい壮絶な闘病生活だったのかと思われるでしょうが、実際の私と父とのやりとりは終始落ち着いた… 明るいものでした。
この1年半を振り返ると、いろいろな場面が思い出されるけれど、
一番まぶたに残っているのは、その大手術に向かうときの父の様子。
手術室に普通に自分で歩いていくっていうのもビックリだったけれど、
(いまどきはそうなのか??^^;)
いつもと変わらないおしゃべりを続けてとくに神妙になることもなく、
「いってらっしゃい」という私に軽く手を上げて、
まるで、寿司屋ののれんをくぐるような趣きで手術室に入って行きました(笑)
12時間近い手術を終えて、術後数日で立ち歩けるようになって(驚!)
声を失っても自分で何でも決めて、
暇さえあれば外泊許可をとって釣りに出かけていた人なんてそうそういない…
バケモノ扱いされるくらいポジティブな患者さんだったようです。
(80歳でねぇ^^;; いろいろ無理を言ってドクターやナースの皆さんにもご迷惑をかけたことでしょう)
病気になっても病人にはならない、とはまさに父のことだわ・・・
と周りはずっと驚くというか呆れるというか、、、そんな日々だったのです。
(だから私は全然深刻にならずにすみました。こういう気遣いのあり方もあるんだな…と手紙をもらうたびに感謝でいっぱいでした)
父の趣味は釣りで・・・
いや、魚釣りが生活で?(笑)みたいな老後でした。
私にとって父は、魚釣りだけでなく、ゴルフ、スキー、ボウリング、麻雀、競馬…etcと「遊びの達人」だったけれど、江戸っ子だった父がいろいろな土地に住まいを移し、終の住処に宮城県の松島を選び、海のすぐ近くに家を借りたおかげで、最後の入院の1週間前まで、釣竿を担いで海まで一人で出かけ糸を垂れていたといいます。
次の魚釣りの大会に行くことを楽しみに(目標に)して、ずっと療養していたのでしょう。
そうなのです。
なぜ父のことを書いておこうと思ったかというと、「人生を楽しむこと」を最後までみせてくれた姿を覚えておきたいなと思ったから。
よく「健康回復や体力をつけるために」→「(適度な)運動」が勧められるけれど、
父を見ていたら「好きなことで動いていたので」→「体力があった」という構図でした。
しかも「病気になっても好きなことがしたいので」→「目標をもてる」人生。
したいことがあるって、本当に素晴らしい・・・
その「生きる力」に、周囲が逆にどれほど励まされたか分かりません。
たしかに好きなことをして人生を過ごすのは、皆んなが簡単にできることではないのかもしれません。
でも、いくつになっても夢中になれることや自分で自分を楽しませる術を持っているということは、なんて幸せなことなんだろうと父から学びました。
(あ、あと足腰が自ずと鍛えられる趣味が最高だということも…^^)
最後まで好きなことをして生き抜いた父を、娘として誇りに思っています。
まだときどき不意に寂しさに襲われたり、さんざん聞かされた幾つもの武勇伝を思い出して懐かしく思ったり、逆にどんどんこれまでの日常に帰っていく(戻ってしまう&戻れてしまう)自分をちょっと冷たいかなと思ったり、、、
しばらくは自分の中のいろいろな気持ちを見つめつつ、(メンタルオーガナイザーとしては/笑)無理に消化せずに付き合っていこうと思っています。
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