2022年9月5日

母のこと⑥



・2022年9月5日(月)

昨夜、帰り際に胸に耳をあてたら、心臓のトクトクが弱々しくなっていたので、なんとなく寝付けず。

何も呼び出しはなかったけれど、今日は8:00前に到着。


受付に挨拶をすると

「すごい頑張られてますよ」と。


もう本当に驚き。


施設のスタッフの人たちが入れ替わり顔を見に来てくれて、母に声をかけてくれる。

「すごいですね…」

「がんばってらっしゃいますね…」

「家族がいらしてるの、分かってるんですね」



そりゃそうよ。

分かってるなんてもんじゃないと思う。

もう先週末から昭和歌謡メドレーでカラオケ大会だもの。

きっと最近こんなことなかったから、母、楽しくなっちゃってるんだと思う(笑)



今日は午前中からずっと目を開いたまま。

ときどき瞳がゆらゆらするときは、夢をみてるのかも。

覚醒すると、瞬きもするし、つばも飲み込もうとする。

呼吸は浅く、弱くなってる。

が、もう痛みを感じているような表情はしない。



「もうお母さんの好きなだけ一緒にいるからね。」

と言って手を握りながら、美空ひばりも八代亜紀も五木ひろしも歌ってあげた。


私の昭和歌謡の記憶ぶりに夫が苦笑いしていた。



昨日から一緒にいてくれた夫が昼過ぎに静岡に戻り、入れ替わりで、義妹が到着。


一番母のそばでずっとお世話をしてくれていた義妹。


彼女に手を握ってもらって母は安心したのか、少し瞼を閉じ気味に眠ろうとしていた。



傍で、私と義妹が母との思い出話をしていると、突然あくびのような大きな呼吸をした。

そのあと、顎がうごくような呼吸に変わった。

明らかにこれまでとは違う呼吸。

母の胸に耳をあてるが、心臓が打つ音はほとんど聞き取れないくらいになっている。



ちょうど排泄のお世話で来てくれたスタッフと看護師の方に、

「もうだいぶ呼吸が弱くなってるみたいなんです」

と伝える。



お世話の時は、コロナ対策もあって、家族は部屋の外に出なくてはいけない。



「じゃぁちょっと診てみますね」

と部屋の扉が閉められて数分後。

急に扉が開いて、


「もうそろそろかもしれません。息止まりそうだから入ってください」



駆け寄ると、もう呼吸をしていない母がいた。



私は母の背中に腕を回して肩を叩きながら、母を呼ぶ。



すると、のどがゆっくり動いて、息を吹き返した。

おぉ・・・すごい。応えてくれた。

母を褒めてあげた。



義妹が泣きながら仕事中だった弟に連絡をしている。

すぐに来るという。



見守ってくれていたスタッフの方が

「そうよー。もうすぐ息子さん来るんでしょ!」


母が片目でウインクした。



あれ、じゃあ、まだ復活できるの?と

母の名前を呼ぶ。


またゆっくり呼吸が戻る。



でも呼吸は一度きり。

再度呼吸が止まる。


さらに母を呼ぶ。

何度も呼ぶ。



すると、みたび呼吸が戻る。



ここまで予想を超える頑張りぶりだったので、そんな母に頑張ってとは言いたくなかったけど、まだ弟が到着するには時間がかかる。



もう一回頑張れるかな?と声をかけた。

「おかあさん!おかあさん!」

声を大にして呼んでみる。




でも、母の力はそこで尽きた。



私の腕の中で母は息をひきとった。



「お疲れさま。ずっと頑張ってたもんね。ありがとうね」



髪と頬を何度も撫でた。


入れ歯を外してる母の顔は、なんだかとても可愛かった。




多分、これほど長い時間を母一人のために費やしたのは、生まれて初めてだったと思う。


「おかあさん、こんなに最後にずっと一緒にいられる時間を作ってくれてありがとうね」

そんな風に明るく母に声をかけることができた。



弟が到着したのは、それから15分後だった。

ちょっと涙を浮かべながら、母に感謝と労いを伝えていた。




そこから、最終確認のためにドクターが来て、その後、スタッフの方々が母を送り出すための整えをしてくださるエンゼルケアに入る。


私の我儘を聞いてくださり、私と義妹で用意しておいた着物を着せることもできた。

出来上がった母の姿をスタッフの人たちが見に来てくれて、口々に褒めてくれた。

とても綺麗な顔だった。



1週間と言われていたのが10日になったせいなのか、仕事を気にせずにべったり母のそばで過ごせたことがよかったのか、はたまたカラオケしたり花火みたりできたためなのか、、、

(いや、その全部が功を奏したんだと思う)

私は、とても清々しい気持ちで母の最期を受け入れた。

母を見送ったとき、私の頬は涙で濡れることはなかった。



慌ただしく準備が進められ、葬儀社が母を迎えに。

その足で、葬儀社でこれからの段取りとか、諸々決めなくてはいけないことを打ち合わせた。



夜になって母の友人数名に母の携帯から連絡をする。

私、ちゃんと話せるかな?大丈夫かな?と思ったけれど、このときも不思議と私は涙で咽ぶことはまったくなく、淡々と母の状況を話すことができた。

母の訃報を聞いて、皆さん、電話口で泣いてくださった。

そして口々に、母との思い出を話してくれた。

母の賢さも、正直さも、頑固さも、カッコつけたい気持ちも、みなさんよく理解してれていた。

感謝だった。




変な言い方だけれど、私の中の悲しみを包んでくれる満足感というか達成感のようなものが芽生えていた。




ふーーーー。



いまは母に対する感謝の思いでいっぱいです。

(これから葬儀までの間、どうなるのかわからないけど・・・^^;)





※ひとまず、ここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。

この記事は私がそのときの様子や気持ちなどを勢いで書き殴っているので、後で修正したり削除したりする部分があるかもしれません。

また、葬儀を前にした覚書もとっておきたいと思ったらもう少し続けるかもしれませんが、とりあえず、私が気丈に母を看取ることができたのは、このブログを書いていたことも一つの支えにとなっていたと思います。

ひっそりとアップしていた記事にクリックしてくださって感謝いたします。


→ 母のこと⑦

2 件のコメント:

  1. しっかり読ませていただきました。義父母を看取った時を思い出します。最期はご本人が決めてる、間違えない。苦しみ少なく、10日間も受け入れる時間が作れて良かったと思います。お母様の愛情ですね!

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